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ファッション通販/ファッション雑誌/ファッションメンズ/衣服の歴史/古墳時代・飛鳥時代

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古墳時代・飛鳥時代
古墳時代の日本の衣服については、ほとんどわかっていない。7世紀の中頃までについては、日本列島で書かれた『古事記』と『日本書紀』、そして発見された古墳時代の埴輪だけが、古墳時代の衣服を知る上での考古学上の資料である。これらの資料から、男女ともに、上半身を覆う服と、下半身を覆う服の2つに分かれていたと推測されている。しかし『古事記』と『日本書紀』に服の図は書かれていないし、現存する当時の資料が極めて少ないため、わからないことが多い。古事記に書かれていることであっても、記述の裏付けとなるものがほとんど残っていないため、正確性は保証されない。埴輪のモデルには、指導者と推測される人、宗教に関わる人に見える人、武装している人が多い。また、埴輪が写実的なものである保証はないし、埴輪のモデルが埴輪が作られたときに日本列島に住んでいた人であることの保証もない。

603年に、聖徳太子が、すぐれた人を評価する冠位十二階を定めて、役人の位階によって冠の色を分けて、役人を区別した。ただし、『日本書紀』に冠位十二階を定めたときの記述があるものの、その記述中には、それを定めたときにどの位階にどの色を使って区別したのかが書かれていない。『日本書紀』に、服の図は書かれていない。

7世紀末ごろに、国号が日本と決められた。7世紀末から8世紀初めに作られた高松塚古墳の壁画が1972年から研究された。飛鳥時代の人々の姿が描かれたもので現在も残っているのは、高松塚古墳の壁画だけである。その壁画の一部に描かれていた男子と女子の絵と、『日本書紀』の記述が、飛鳥時代の衣服の考古学上の資料である。現在の研究者たちの報告によると、高松塚古墳の壁画の人物像では、男女ともに全ての衿の合わせ方が左衽(さじん)、つまり左前だったという。その壁画では、上半身を覆う服の裾が、下半身を覆う服と体の間に入っていないで、外に出て垂れ下がっているという。その壁画に描かれた服の帯は革でなく織物ではないかと推測されている。


posted by ミスター★ヒコボシ at 21:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | ファッションブランド
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